政治家・山本たかしの原点

 

    

「天国にいるおとうさま」
交通遺児作文集 
玉井義臣 編 
サイマル出版会

天国にいるおとうさま      
中島 穣 (十才)

 

ぼくの大すきだった おとうさま
ぼくとキャッチボールをしたが
死んでしまった おとうさま
もう一度あいたい おとうさま
ぼくは
おとうさまのしゃしんを見ると
ときどきなく事もある
だけど   
もう一度あいたい おとうさま
おとうさまと呼びたい
けれど呼べない

どこにいるのおとうさま
もう一度ぼくをだいて おとうさま
ぼくがいくまで まってて 
もう一度ぼくとあそんで おとうさま
おとうさま ぼくといっしょにべんきょうしてよ
ぼくにおしえてよ
おとうさま どうして三人おいて死んだの

ぼくは            
今までしゅっちょうしていると思っていた 
おとうさま まってて ぼくが行くまで
おとうさま おとうさま
もう一度「みのる」って呼んで
ぼくもおとうさまと呼ぶから
ぼく「はい」と返事するよ
ぼくは かなしい
おとうさまがいないと

 山本たかしは、5歳のとき、兄(当時7歳)を交通事故で亡くしました。その日以来、家族で食卓を囲んでも、いつもいるべき場所に兄はいません。
 
  ぽっかりと心の中に穴が空いたまま、山本は、集英小、船場中、清水谷高校へと進学。そして、立命館大学在学中(20歳)に、一冊の本「天国にいるおとうさま」に出会います。交通事故で親を亡くし悲しみにくれる子供たちが、兄を失った5歳の時の自分と重なります。涙がとめどもなく溢れてきました。その日から山本は、交通事故で親を亡くした子供たちのために活動しようと心に決めました。
 
  1970年の秋、秋田大学の自動車部の募金活動に参加し、その後、交通遺児を励ます運動に身を投じ、自ら「大阪交通遺児を励ます会」を結成。大学卒業後は、交通遺児育英会に入局し、遺児たちの進学の夢を育てる募金活動や女手一つで子供たちを育てている母親たちのための支援活動に没頭しました。
 
  山本や仲間たちが繰り広げた交通遺児たちへの支援の輪は、交通遺児だけではなく、病気や災害で親を亡くした子供たち、親が自死してしまった子供たちへの支援活動「あしなが運動」へと広がっていきました。 


「あしなが育英会」