メールマガジン 「蝸牛のつぶやき」 山本たかしの国会アクション報告

(蝸牛「プンプン」


「不安だらけの日本社会を何とかしなければいけない。」という思いでいつもメールマガジンを書いています。

             

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2007年12月25日(火)

 

 山本孝史を応援してくださった皆様へ

 

 07年12月22日午後11時50分、夫・山本孝史が死去いたしました。これまでの山本の国会活動を応援し、闘病の日々を激励してくださった皆様に心より感謝申し上げます。

 大阪の自宅近くの胃腸病院で山本にがんが見つかってからちょうど2年になります。胸腺がん(肝臓・肺転移、ステージ4)で「治療しなければ余命半年」の厳しい状況からスタートしましが、山本は、苦しい抗がん剤治療に耐えながら、神様から与えられた月日を、精一杯、国会で仕事をし、やりかけていた仕事も完結させ、そして、「日本のがん医療への提言」を一冊の本にまとめ、黄泉の国へと旅立ちました。

 治療においては、今年の4月から肝臓に直接抗がん剤を送るための肝動注を開始し、 6月からは在宅酸素のお世話になり、8月末には食べ物がのどを通りにくくなり中心静脈栄養を開始しました。その後、脳転移のため、10月下旬にはサイバーナイフ治療を受けました。この 8ヶ月の間に、参議院選挙に出馬したのは無謀だったかもしれませんが、当選を願っての出馬ではなく、全国の有権者に「いのちの大切さ」、「いのちを切り捨てない政治」を訴えるためでした。

 「治らない進行性のがん」と宣告されても、「治りたい! 生きたい!」と叫び続け、苦しい抗がん剤治療に耐え続けました。しかし、追い込まれてくると、「治るがんなら、どんなに辛い治療でも耐えられるが、治らないがんではどうしようもない」と弱気になり、度々、身の置き所のない感覚に見舞われることもあって、「自分の身体がどうなっているのかわからない。どうしたらいいんでしょうか」と看護師さんに聞いていました。それでも、国会復帰を目指し、少量の抗がん剤投与を受け続け、死の9日前になって初めて、すべてのがん治療を断念しました。この最後の9日間は、自分の持てる力をすべて出し切って生き、そして、静かに旅立ちました。

 この2年間に、山本はがんという病気、そして、がん医療全般について猛勉強しました。治療では、患者の体表面積から抗がん剤の量を割り出す標準治療(最大量の抗がん剤投与)と少量の抗がん剤治療の両方を体験しました。その間、自ら学び、考え、感じてきたことを書き溜めおりましたが、この11月に多くの人たちのご協力をいただき、病室で一冊の本にまとめあげました。がん患者の国会議員が書いた「日本のがん医療への提言」です。

 山本は、抗がん剤治療しか経験しておりませんから、がん医療に関してほんの一端に触れただけかもしれませんが、今後の日本のがん医療が、がん難民を生み出すことなく、治らないがん患者も、満足し納得して生を閉じることができる方向に進んでくれるよう祈るような気持ちでまとめた本です。旅立つ2日前に見本本が病室に届けられ、山本は嬉しそうでした。参議院選挙で当選させていただいたのに、ほとんど国会には出て行くことができず、何度も辞任を口にしていましたが、現職でいることが、山本の生きがいになっておりましたから、「本ができたら、きっと多くの人にわかってもらえると思う。国会に行けなくても孝史にしかできない仕事をしているのだから」と、私は励まし続けました。

 この2年間、死の直前まで、山本ががん患者として充実した日々を送ることができましたのは、主治医となってくださった先生たちが「一日でも長くいい時間を過ごさせてあげたい」と、懸命に治療してくださったからと心から感謝申し上げます。

 私たちは、とても豊かな2年間を過ごすことができました。これも、皆様が「ゆっくりと仕事をしなさい」と山本を温かい気持ちで大きく包み込んでくださったからと心より感謝申し上げます。また、皆様の山本孝史に対する長年にわたってのご支援に深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

                       2007年12月25日   山本 ゆき

(山本の告別式は来年1月12日に大阪で行う予定です)


病室でパソコンに向かう(07年9月23日)


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